「姫まつ倶楽部」は、正式名称を「姫街道の松並木を考える会」といいます。 姫街道の松並木は、浜松市の指定史跡文化財です。 生活の中で、地域の文化財と、歴史を考えて行きましょう。
★ 姫街道の松並木お掃除ボランティア募集!   奇数月第3日曜日早朝7:00~8:30  次回松並木お掃除 9月30日(日)7:00   集合場所 竹内新聞店(中日新聞)(用具は用意します)           杏林堂から西へ。姫街道沿い。  この時間に出来ないが、他の時間なら出来ると言う方も歓迎します。保険に入りますので、お名前を登録してください。
☆ ☆ ☆
★ 会員募集中   ■正会員(例会月1回、第3火、葵西会館、又は北部協働センター。19:00~20:45)年会費 1,000円 ( 主催イベントがある場合、例会を省略する場合があります)  ■ボランティア会員(隔月1回) 会費 ゼロ。 松並木清掃のみ。  ■賛助会員(賛助金歓迎) ご支援いただける個人・法人の皆様 会費 1口5,000円。物品提供も可。             

広報はままつから 姫街道の紹介


 2月5日付けの「広報はままつ」は、三遠南信特集です。
 東海道を襲った大地震として、姫街道が紹介されています。

 「東海道御油宿(現豊川市)から見付宿(現磐田市)へ通じる脇街道の姫街道。
 1707年(宝永4年)に東海道筋を襲った大地震で、浜名湖口から新居宿が被害を受け、東海道の通行が困難になったとき、臨時に姫街道を往来するようになりました。 
 東海道が復旧しても、姫街道の交通量が減ることなく、反対に東海道は寂れてしまったため、幕府は特別なこと以外は大名や旗本が、姫街道を通ることを禁じました。」
 (広報はままつから。 但し、句読点、改行は変更しました。)

 東海道が整備されたのは、徳川家康が参勤交代を始める為でした。 それまでは、むしろ姫街道の方が、メイン街道でした。 但し姫街道と言われるようになったのは、江戸時代の終わりです。
 
 姫街道(もともとは本坂道、本坂街道と言った)は、平安時代からあり、万葉集にも、歌われていることで分かります。 更にさかのぼり、細江周辺に多くの遺跡があることから、銅鐸もこの道を通って来たと、考えられます。
= mayonaka fujita =


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