2月5日付けの「広報はままつ」は、三遠南信特集です。
東海道を襲った大地震として、姫街道が紹介されています。
「東海道御油宿(現豊川市)から見付宿(現磐田市)へ通じる脇街道の姫街道。
1707年(宝永4年)に東海道筋を襲った大地震で、浜名湖口から新居宿が被害を受け、東海道の通行が困難になったとき、臨時に姫街道を往来するようになりました。
東海道が復旧しても、姫街道の交通量が減ることなく、反対に東海道は寂れてしまったため、幕府は特別なこと以外は大名や旗本が、姫街道を通ることを禁じました。」
(広報はままつから。 但し、句読点、改行は変更しました。)
東海道が整備されたのは、徳川家康が参勤交代を始める為でした。 それまでは、むしろ姫街道の方が、メイン街道でした。 但し姫街道と言われるようになったのは、江戸時代の終わりです。
姫街道(もともとは本坂道、本坂街道と言った)は、平安時代からあり、万葉集にも、歌われていることで分かります。 更にさかのぼり、細江周辺に多くの遺跡があることから、銅鐸もこの道を通って来たと、考えられます。
= mayonaka fujita =